原発と憲法

2012年3月25日 

ねりま九条の会憲法学習会にて

      

         講師 河合弘之 さん

                   


はじめに
 今日は原子力発電と憲法ということでお話をしたいと思います。私は15年近く脱原発の闘いを続けていますが、裁判をやってもやっても負ける。20連敗なんです。2度下級審で勝ったことがあるのですが、どれもひっくり返っています。志賀原発は地裁レベルで勝っていますが、高裁レベルでひっくり返されました。「もんじゅ」は高裁レベルで勝って、最高裁でひっくり返されました。やってもやっても負け。徒労感と屈辱感でヘトヘトになっていて、そろそろ引くかなと思っていたときに、3月11日の事件が起きたのです。それ以来私はアドレナリンの出っぱなしです。「そうだ俺のやっていたことは正しかったのだ。よしもう一回本気でやるぞ」ということで、私は今67歳ですが、残りの人生は全てそれに賭ける決心をいたしました。

日本で原発をやってはいけない理由
 そういう闘いの中で私が考えてきたことを、みなさんにご披露したいと思います。
 日本では絶対に原発をやってはいけないという理由がありまして、世界中の地震の震源地の分布の図を見ると、日本の形がわからなくなるくらい黒丸が集まっています。日本の国土は世界の面積の0.3%です。ところが世界の地震度の10%が集まっています。地震度は世界の100倍ぐらいと言われています。それくらい日本には地震が集中しているのです。プレートの境界線上にあるからです。地震の殆どがプレート境界型地震です。日本は4枚のプレートが重なっています。世界にそんなところは無い、日本だけです。だから地震が多いのです。その図と世界の原発の分布図を重ねてみると、原発が最も多いのがアメリカ合衆国の東海岸、その次がフランス、ドイツですが、その両国には地震が全くないことがわかります。日本だけが地震の震源地と原発が重なっています。
 つまり地震が頻発するところで原発をやっている国は日本だけだということです。だから他の国はともかく、日本だけは原発はやってはいけないのだと言っているのです。なぜか、原発は巨大精密機械だからです。精密機械というのは衝撃と水に弱いのです。私は裁判の検証の過程で原発に潜り込みました。浜岡原発です。大きい割に人が入るところが狭いのです。見上げると無数の配線、無数のスイッチ、無数のIC、つまりマイクロコンピューター、無数の電源、無数の計器類、全部精密機械です。精密機械から成り立った巨大な精密機械が原発です。精密機械は衝撃と水には極端に弱いのです。だから、地震と津波のある日本ではやってはいけない。これが私の最も強調したいことです。他国の原発と日本の原発を同等に論じることはできません。フランスの原発の危険度が1とするなら、日本の原発の危険度は100。それくらい違う。
そう言うと、「原発を全部止めたら電力は足りなくなる。お前らは行燈で暮らすのか」などというバカな議論をする人がいるのですが、原発を止めたら電力が足りなくなるというのはウソです。電力には設備容量と実稼働率というのがあります。火力発電の実稼働率は50%、原子力発電の実稼働率は61%ですが、全体の比率は小さいので、原子力発電の実稼働率を止めたら大変なことになるかというと、そうではない、火力発電の実稼働率を50%から75%に上げればいいのです。日本の電力は全部足りるということです。現に3.11事故が起きた後、東京電力が一番はじめにやったことは、寝かせてあった火力を大急ぎで起こして増強することでした。そして見事に増強して殆ど停電しないで済んだ。あの計画停電も本当はしなくて済んだのです。別の目的でああいうことをやったのだと私は思います。あの後停電なんか起きなかったではないですか。今だって九電や関西電力に電気を回してやろうかという話までしているのです。だから電力が足りなくなるというのは全くのウソです。そう言うと、「化石燃料や液化天然ガスを今は仕入れているので、燃料が高くなるから電気料金が高くなる」と言う。国が滅びるかどうかという危険を冒すよりも、電気料金が少し高くなっていいじゃないかというのが私の主張です。すると今度は「電気料金が高くなると産業が空洞化する。原発を止めると産業が空洞化する」という発言が出てきます。これも全くのウソで、空洞化は原発をバンバンやっていたこの30年の間に、とっくに進んでいるのです。産業は外に出て行っている。原発を止めるか止めないかの問題ではない。産業が空洞化するのは日本の賃金が高いからです。電気の不安定なところにも行っているではないですか。中国などはしょっちゅう停電しているのに、あれほど日本の産業は行っている。更に反論があります。「化石燃料を燃やせばCO2がたくさん出るではないか」と。それはそうです。ウランを燃料に仕上げる過程を無視し、廃炉にする過程を無視すれば、順調に回っているその部分だけを見れば、原発はCO2は出さないのです。だからみんな再稼働をしたがるのですね。燃料も安いしCO2も出ないという名目も立つではないかというわけです。しかし、CO2がましなのか、放射能がましなのかという選択を我々はしなければいけないのです。緩慢な死を選ぶか、急激な死を選ぶか、放射能を出すか、CO2を出すかどっちがいいと思いますかみなさん。CO2は少しは出しましょう。勿論節電もし、化石燃料を燃やすのでも、効率のいいきれいな燃やし方をしながらつなぐ、そしてその間に自然エネルギーを実質的な発電量にしていくようにするべきだと私は考えています。世界に対しても「日本は原発をしてはいけない国で、これ以上続けるとみなさんにご迷惑をかけるから、また放射能を大量に出すかもしれないからCO2を出すことをしばらく勘弁してください」と言えば、特に中国や韓国は理解してくれる筈です。率直に世界に対してメッセージを出して、そのようにするべきです。

脱原発ゆっくり論の誤り
 今、日本の世論は70から80パーセントの人が「原発は怖い」「原発はやめよう」と言います。でも、「全部止めるのは現実的でない」と言う人がいます。その発言には何の根拠もありません。今は54基の内1基しか動いていないではないですか。それは止まったも同じなのだから、全部止めたって現実的なんです。原発即時停止というのは現実的な選択なんです。なぜ私たちがそのようなことを言うかというと、10年かけて、もしくは5年かけて脱原発をやっている間に事故が起きたらどうするのですか。これが私たちの主張の根拠です。ゆっくり脱原発をやっている間に浜岡が火を噴いたらどうするのですか。若狭湾の14基の原発が事故を起こしたらどうするのですか。関西は全部アウトです。琵琶湖の水がやられて水が飲めなくなる。浜岡がやられれば首都圏は全部やられる。そういうリスクがあるではないですか。現に巨大地震が東海・東南海・南海、さらに南まで連動するかもしれないという政府の研究が出ているではないですか。そんなリスクを冒すことはない。直ちに全部止めてCO2を少し出しながら、その間に自然エネルギーをタッチアップしながらやっていくという選択肢しか日本にはあり得ないのだと、私は思っているのです。

飯館村で    
 原発の被害は本当に深刻です。私は何回も福島に行きました。福島は死んでいますよ。本当に気の毒です。特に飯館村とか、事故の現地に近寄れば近寄るほど悲惨です。私は飯館村の中に入って村役場に行きました。村役場の入り口にお地蔵さんが立っているのです。「心なごませ地蔵」と書いてあります。「頭を触ってください。村民歌が流れます」と書いてあります。頭を撫でて見ると、実に美しい少年少女合唱団のハーモニーで村民歌が流れてきたのです。「山美わしく 水清らかな その名も飯館 わがふるさとよ みどりの林に 小鳥は歌い うらら春陽に さわらび萌える あゝ われら いまこそ手と手 固くつなぎて 村を興さん 村を興さん」という歌なのです。けなげな歌だなと思いました。実際そういう村なのです。人口はわずか7000人、細長くて広い村なのです。菅野さんという村長が村人と一緒に飯館牛というブランド牛を作り上げた。それとトルコキキョウの名産地であり、土壌を改良していいお米が出来るようにしたのです。栄えていたのです。そして村民同士がとても仲が良かったのです。それが 3.11で、死の村にされてしまった。東京電力はこれをどうやって償うのだろうかと思いました。原発というのは被害者の全てを奪う、本当に恐ろしい被害なんだと思います。
 今から3ヶ月くらい前に、福島で「まげねど飯館」という集会が開かれました。「俺たちは負けないぞ」という意味の集会です。私は呼ばれて出かけました。私は被害者の人たちが「よし、みんなで力を合わせて頑張ろう」と言うのだと思ったのです。ところが違うのです。村長派と反村長派に分かれて怒鳴り合いをやっているのです。それは主に反村長派の人たちの集会だったのです。菅野さんという村長さんはとても立派な方なのですが、彼は『美しい村に放射能が降った』という本を書いて世論に訴えています。「村民はみんなで一生懸命やってきた、美しい村だった、それが放射能が降ってダメになった。だが俺たちは帰るぞ、国よ、東電よ、除染しろ、きれいにしろ、俺たちは2年で戻るんだ」という運動をやっています。
 ところが小さい子どもを抱えた若い人たちは「そんなことをやっても無理だ。出来もしないことに旗をかかげて、俺たちをどこに連れて行くんだ。俺たちは嫌だ」ということを言っています。彼らは「近くに新飯館村をつくってそこでみんなで一緒に住もう。除染に金をかけるならそちらに金をかけて貰おう、そして立ち直り、何百年か経って村がきれいになったら戻ろう。2居住100年をやろう」と言っています。そこで村長派の人がちょっと発言し始めたら、「うるせー!このやろう。お前らのくるところじゃない、出ていけ!」と怒鳴り合いをやるのです。被害者同士がですよ。原発の被害はコミュニティーを破壊するのです。
 もう一つ驚いたのは、ある運動家が「あなた方の言い分はよくわかった、本当によくわかった。私たちも何とか助けたいと思う。だけどこんなことになったのは、元は東電でしょう。原発でしょう。原発の反対運動も一緒にやりましょうよ」と言ったのです。その時、みんなが「そうだ!一緒にやろう」と言うかと思うでしょう。違うのです。リーダーが「それは今まで考えたことがあった。しかし、それを言うと国や東電と闘うことになる。親類にも東電で働く人がいる。だからそれをやると運動がまとまらなくなる。俺たちの生活を立て直し、損害を賠償しろという運動に亀裂が生じるからそれは言えない」と言うのです。私はそれを聞いてショックを受けました。それで、私は「あなた方は生活を取り戻し、損害賠償を請求し、除染などを徹底的に追究してください。そうすることによって原発事故というものがいかにお金がかかって、やってはいけないものであるかがわかるでしょう。あなたがたはそういう闘いをして、私たちは根っこである原発を止める闘いをやるから、一緒に力を合わせてやりましょう」と取りなしたのですが、それほど原発の被害は深刻で、被害者を闘いに立ち上がらせないほど叩きのめすということなのです。

除染は〝移染〟
 除染というのは汚染を除くということなのだけれども、実際には無理なのです。除染と言えども〝移染〟にすぎないのです。取り除いた廃棄物の仮置き場すらない、それを集める中間所蔵する場もない、しかもできても所詮は仮置きであり、中間所蔵でしかない。ということは単なる〝移染〟なんです。しかもそれがちゃんとできるかというと、やっても取り除けるのは7割減ぐらいで、3割ぐらいは残るわけです。やっぱり怖いです。特に小さい子どもを預かっている人は怖いです。その上、途方もない金がかかるのです。全部やれば100兆円かかると言われています。
 飯館村には緑の深い素晴らしい森があります。でもそれに放射能がかかっていると思うと、その森はどす黒い森に見える。原発は自然破壊、環境破壊の最たるものです。

原発と核兵器
 原発という技術はもともと核兵器、特に原子力潜水艦とか原子力空母とかいうものから発展したものです。原理的には核兵器も原発も同じなのです。日本で原発が始まったのは戦後10年経った頃です。当時のアイゼンハワー大統領が〝アトムズ フォー ピース〟ということを言います。それはアメリカとソ連が核兵器を持っているがそれが拡散すると困る。しかしどの国もやりたがる。そこで核兵器の分散はダメだが平和利用はいいということにしようという演説をした。それに飛びついたのが当時の中曽根康弘です。

自己完結型永久エネルギー
 その理由は二つあり、一つは原発を手に入れれば、〝自己完結型永久エネルギー〟が手に入ると思ったのです。まずウラニウムを取り出す。燃料をつくる。普通の軽水炉で発電する。そしてそこで使用済み燃料が出る。それを再処理してプルトニウムを取り出す。プルトニウムを加工して高速増殖炉に入れる。高速増殖炉に入れると、100燃やすと101とか102とかというプルトニウムが出来る。それをまた再処理してもう一度燃やす。そうするとまた102が104になるというように、やればやるほど増えていく。ですから理論上もしくは観念上では、軌道に乗れば、日本は他から石油や石炭を輸入しなくてもいい。資源小国日本がエネルギー問題で悩まなくて済むようになるという自己完結型永久エネルギーを手に入れることが出来る。「これだ」と中曽根は考えたわけです。というのは第2次世界大戦に〝心ならずも〟突っ込んだのは、英米に封鎖されて石油が来なくなって、雪隠詰めにあったからだと、だからあえて戦いを挑んだのだと、あの戦争もエネルギーがなかったから、資源がなかったからやらされたのだけれど、原発がやれて永久エネルギーが手に入れば、戦争などしないで済むと思ったのですね。

核兵器開発能力を蓄える
 それともう一つは、「日本もやがて必ず核兵器を持たなくてはいけない。広島・長崎でやられたあの威力はすごい、他の国もどんどん持つだろう、それなら日本も持たなければダメだ。平和憲法?そんなものは関係ない。いつか絶対にここぞというときには核兵器をつくるのだ」と。実際、いきなり核兵器をつくるのは非常に難しいのです。まず、原子力というものを扱う技術を習得しなければならない。それから水素爆弾をつくるプルトニウムを抽出しなければいけない。だから、核兵器を持とうと思えば原発をやることが必要なのです。ですから核兵器開発の潜在能力を蓄えるには、原発をやっておかなければダメなのです。そのためにいつか日本が軍事大国になり、中国やソ連(当時は主にソ連)と対抗し、アメリカからも独立するには、絶対にこれが必要だということで、その二つの理由で採用しようとしたのです。

秘密にされた核開発構想
 ところが、二つ目の理由を言うと憲法九条違反だと反対運動が起きます。それは秘密にします。自己完結型永久エネルギーだけで行こうということになって、盛り上がったのです。核開発に関しては、原発を国会で取り上げた第一回目の国会で、議員が実際に発言しているのです。「原発を始めれば核兵器の開発能力がつく。今は持てないがいつか持たなければいけなくなったときの準備のために、この原発はやらなければいけない」と議事録に書いてあるのです。それでも秘密は守られたのです。それは自己完結型永久エネルギーの宣伝が大変うまくいって、初めは平和運動家や物理学者が反対したのですが、当時正力松太郎という読売新聞の大立て者が「太陽の陽が日本にもつく、日本はエネルギー問題で悩まなくて済む。素晴らしいことだ」ということで、アメリカから学者を呼んできて講演会をやらせたり、原子力発電の大キャンペーンをやって、総決起集会のようなものを開いたのです。そのため、あっという間に日本国民はそちらの方になびいて、〝原発素晴らしい〟になってしまいました。以来、核兵器の方は、その陰に隠されて来ました。

原発はもろに九条違反
 しかし、その考え方は脈々と地下水脈で今でもつながっています。自民党の石破茂、元防衛庁幹部の田母神、それと読売新聞も社説で「原発を簡単に全部廃止していいのか。いざというときの核兵器開発の能力を培養しておく必要があるのではないか」と書きました。このまま行くと日本は本当に原発を止めてしまうかもしれないという危機感を持ったからです。今まではその勢力は危機感を持ってはいなかったのです。黙っていても原発はどんどん進んで行きますから。しかし、3.11事故の影響でいよいよヤバくなったから、黙っていると危ないというので 言い出したのです。そういう勢力は隠然としてあったのです。防衛省の幹部、科学技術庁の幹部、今は経産省に続いていますが、そういう勢力はずっと考えていました。それと保守政党である自民党や民主党の右翼的な部分です。ですから原発というのは文字通り憲法九条に、真っ向から対立するのです。武器を持たないとかというレベルの問題ではないのです。日本は戦争を放棄しました。国際紛争を解決する手段としての軍事力も兵器も放棄した。だからみなさん九条の会というのをやって、反動的な流れになるのを食い止めようということで運動をしてきた。日本中に九条の会はいくつもある。平和運動はいくつもある。でも連中の考えてることは、もしくは原発の第二の意図は、そんなことは遙かに超えて、核兵器を持とうとしているのです。原発というのはそういうものなのです。原発を続けるということは、原発を続けてプルトニウムを貯め続けるということは、日本が核兵器を持つことを肯定することなんです。

ベトナムに原発を売る
 ベトナムはまだ日本から原発を輸入すると言っています。自分のところでもちゃんとできないものをよく売ると思いませんか。自分のところで完璧にうまくやっているならともかく…。
緒方貞子さんが最近言いましたね。緒方さんはODAの理事長を辞めるに際して、「自分のところでうまくいかないものをよそに売るのはまずいのではないか」と。本当にまともな感覚ですよね。でもそれがニュースになるというのもおかしなものです。ベトナムは絶対に原発がほしいのです。核兵器がほしいからです。中国と対立してますから、いざとなったら中国を核兵器で脅すためにほしいのです。だから「トリウム原発」という絶対に安全な原発が開発されつつあるというのですが、新興国は全くそれには投資しないのです。そこからプルトニウムが取れないからです。新興国はそういうものには絶対に手を出さないのです。核兵器が手に入らないからです。

政府を動かす黒い勢力
 日本もそうなのです。だから黒い軍国的勢力は、「とにかく原発を維持しろ、再稼働しろ」と言う。そういう勢力が日本には非常に根強くあるのです。経産省にもいる、政治家にもいる。だから、70%か80%の人が原発は止めたいと言っているのに、新聞を見れば「再稼働直前」とか、「ストレステストが終わった」とか、いよいよ政治判断で地元に説得に行くとか…。おかしいと思いませんか。国民の意志に基づいて政治が行われて行くはずなのに、国民の意志と全く関係なく、どういう脈絡なのかもわからないのに、再稼働という方向に動いているではないですか。それは役所の勢力とか、政治の勢力とか、経済の、つまり原発を動かすことによって利益が取れる連中が、野田政権を後ろから突いているからです。野田政権のコントロールできないところでどんどん進めている。野田さん自身も余りよくわかっていないから、「夏に停電すると偉いことになる」からということになる。停電と事故とどっちが大変なことになるんですか。「停電してもいい」というくらいに開き直らないと原発は本当に止めることはできないのです。このままで行くと再稼働すると思います。

原発は憲法の人権規定違反
 憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)違反
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
 これを福島の状況に当てはめてください。全く違反してますよね。健康で文化的な生活などできていないじゃないですか。公衆衛生の向上…放射能をばらまくなんて、一番公衆衛生を害することです。
 原発の事故は国民の生存権を根底から覆すのです。ですから国の生存権保障違反そのものです。命の危険にさらす、故郷を捨てさせる、土地家屋を無価値にする、農業牧畜業その他全ての職業を放棄させる。学校を辞めさせる。こういうものです原発は。
憲法13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)違反
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
 福島の特に被災地の人たちは本当に、幸福追求の権利を根底から否定されています。確かに毎月10万という、慰謝料名義の生活費が出るし、仮設住宅が一応保障されています。でもその人たちは今何をしているかというと、朝からパチンコに行っているんです。お酒飲んでいるんです。人間が腐ってくる。そんなことは不幸なことです。現地で支援している人たちの今の危機意識は、人間がダメになっていくことだといいます。これは幸福追求の権利の破壊以外の何ものでもないし、人間を腐らせてしまうのです。だから、お金で支えているからいいでしょということではないのです。
憲法22条(住居・移転・職業選択の自由)
 「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」
 自分が今まで住んできたところに住む、これは何ものにも代え難い強い欲求です、特に中年以上の人はそうです。お年寄りなどは今まで住んでいたところから離したらそれだけで呆けてしまうじゃないですか。それぐらい今まで馴染んだ生活環境の中に生きること自体が幸福を生むのです。それを追い出してしまったのです。心のふるさとを失わせているわけです。
 それと職業選択の自由を侵害してますよね。私は福島の漁港に行ったのです。そしたら津波と地震の被害は完全に回復している、きれいな港になっているのです。船もきれいに洗われてつながれています。でも人っ子一人いないのです。市場もあるのです。魚を捕っても売れないから仕事が出来ないのです。地震や津波の被害に関しては人間は立ち直れる。特に日本人は勤勉だから一生懸命やるし、頭もいいから、自然の被害には勝てるのです。だから今どんどん立ち直っているじゃないですか、宮城より北は。だけど原発被害はダメなんです。風評被害でそこで捕った魚は売れないし、放射能で汚染されているから、そこで捕った魚は売ってはいけないと言われているからできないのです。どんなに悔しいか、漁師の人たちは。まさに職業選択の自由の侵害以外の何ものでもでもないと思います。
憲法26条(教育を受ける権利、教育を受けさせる義務)
 「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする」。
 放射能のあるところで不安を押し殺しながら学校に通わせている親、それからその不安の下で勉強をさせられる子ども、これは本当の教育を受けていることにはならないということです。この問題も本当に重要な問題で、福島県はみんなが出て行ってしまうと困るから20ミリシーベルト以下は大丈夫、残りなさいということで、逆に出ていく人を白眼視するような雰囲気になっているようです。でも本当に子どものことを思って不安で不安で仕方がないという人をどうして非難することができるのか。今児童疎開の裁判で仮処分が下りて、結局一審で負けてしまいましたが、子を思う親心、特に母親の心というものは理屈ではいかんともし難い。放射能の問題の難しいところは、平気だという人にとっては平気なのですが、平気でないと思う人にとっては平気でない。で今の段階で絶対に有害だという立証は出来ないのです。でも逆に絶対に安全だという立証もできない。だから放射能の問題は難しいのです。放射能の問題は心の問題にすぐに結びついてしまうのです。はっきりするものならいいのですが、毒物の中でも放射能というのは、どこでどう効いてくるかわからないという怖さがある、だからみんなに不安を引き起こすのです。その不安を引き起こすこと自体が罪なのです。後で、「ほら見ろ安全だったじゃないか」と言われても、その間の恐怖や不安はぬぐえないのです。
憲法27条(勤労の権利ならびに義務) 
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。児童は、これを酷使してはならない」。
 あの地域の人たちの仕事は制限されて水産業も農業も殆ど出来ないようになっていて、就職 口があるとすると復興工事だけです。それも非常に危険な収束作業、そういうもの。それは職業選択を保障したことにはならないと思います。

反原発のたたかいは今
 今反原発の戦いがどういう状況かということをお話したいと思います。3.11までは裁判はやってもやっても負け。継続中なのが浜岡原発の東京高裁の訴訟と大間原発のこれからつくろうとする原発についての差し止め裁判ぐらいです。しかし、3.11以降どんどん原発差し止め裁判が起きてきました。私は東京高裁で裁判をやってきましたが、3.11事故を見て、「よし、ここからもう一度やり直すぞ」と思ったのです。その理由は3.11以前は、日本の裁判官は全員、電力側、政府側の「原発は必要で、安全で安心なのだ」というキャンペーンに毒されていたのです。「原発は安全なのだからたいした事故は起きない」と裁判官が思っている状況の中では、いくら私たちが地震の危険性や、津波の危険性、事故の可能性などを言って、危ないから止めろと言っても、気にもとめないわけです。ありもしないことを大げさに言い立てる変な人たちという目で私たちを見ていたのです。いわばオオカミ少年と思って見ていたのです。裁判は公正でなければいけないから、一応言い分は聞くけれども「はいわかりました」そして負け。こうなってしまったのです。勝ちようがないのです。
 みなさんも多分「原発、安心安全キャンペーン」にある部分で毒されていたのではないですか。「原発、安心安全キャンペーン」というのは簡単な論理なのです。「日本は資源小国、CO2を出すのは嫌、やっぱり原発は必要」。インテリほどこれに弱い。「日本は技術大国で最高の技術を持っているから安全」これだけです。これを手を変え、品を変え言っているだけ。しかも子どもの時からやっているわけです。「原子力教育」というのをやっているのです。副読本で「原発は必要、安全」という教育をやっているのです。だから完全に刷り込まれているのです。裁判官も国民の一部だから、彼らも刷り込まれていたわけです。
3.11以後の裁判に期待
 あの3.11事故を見て、みなさんも本当に驚いたと思うのですが、裁判官も驚いた。「こんなことが本当に起きるのだ。怖いな」と思ったに決まっているのです。あれを見て怖いと思わない人は人間じゃないです。中曽根だって怖いと思ったでしょう。それ以降裁判官は変わったのです。現に私は東京高裁で裁判をやっていますが、裁判官の私らを見る目が違ってきた。私たちの目を見ながら話を聞くようになった。ある裁判官と密室で二人になって、これからこの事件をどう進行しようかという打ち合わせになった。その時に裁判官が「イヤー、先生の言う通りになっちゃいましたね」そして「こういう国民にとって重要な問題に関われることに生き甲斐を感じます」そういう風に変わってきたのです。裁判官も人間です。それも比較的まじめな人間です。だからあの現実を見て考えが変わったに違いない。また私はそう信じたい。だから負けたところも、もう一回裁判を起こそうと呼びかけています。そして今まで原発裁判をやってきた弁護士に手紙を出し、電話をかけて「みんな集まろう」と呼びかけました。今までは負けっ放しの苦しい戦いで連携しあう余裕がなかったのですが、「お互いに情報を交換し連帯し助け合い、共通の敵に一緒に向かって行こう。団結しよう」と呼びかけたのです。そしたら日本全国からあっという間に130人の弁護士が集まりました。

全国で起きる新たな原発差し止め訴訟
 新たな事実が出てきた。ひどい事件が起こったのだ。それが何よりの証拠だ。だからもう一回やり直そう。負けた裁判でも福島の事実を突きつければ裁判官は考え直すかもしれないではないかということで、北は泊原発で裁判を起しました。大間原発では3.11の前からの裁判が引き続き行われて盛り上がっています。女川原発はもう少しで起きます。柏崎刈羽原発、これは負けて意気消沈していたのですが若い弁護士が立ち上がりました。東海第2原発、これは怖いのです。100万キロワットぐらいなのですが、東京に80キロ、水戸には30キロでこれが事故を起こしたら首都圏は完全にアウトです。東海第2ももうすぐ訴訟を起こします。浜岡原発は今まで起こしていた東京高裁以外にも地元の弁護士さんたちが原告になってもう一回起こすということになっています。それが2件起きます。浜岡原発について言うと3件の訴訟が起きることになります。志賀原発、これは1回地裁で勝って高裁で負けたのですが、もう1回起こします。それから若狭湾に14基あるのですが、これについても全部裁判が起きています。それと伊方原発、これは愛媛県にある原発ですけど、これは30年前に負けて運動が停滞しているところですが、これをもう1回やります。次は玄海原発、あのやらせで悪名高い九電の玄海についても訴訟が起きました。川内原発、鹿児島ですがこれも訴訟が起きます。こういう形でどんどん訴訟が起きています。ただひとつ訴訟が無理かな思うのは、東通りといって六ヶ所村の上あたりにある原発ですが、これも現地に行って火をつけようと思っているのです。そうすると日本全国に原発の差し止め訴訟が起きつつあります。もちろん訴訟だけで原発が止まるわけはありませんが、本当に政治も経済も行政も止めないのだったら、最後はこれだということで日本中に原発差し止め裁判を起こしているということです。

個人責任の追及─株主代表訴訟
 ただ、これだけでは東電の役員の身に浸みない。彼らは今でもぬくぬくと東京電力の本社で仕事をし、給料を貰い、定年になれば退職金を貰いということになるのです。さすがに勝俣会長だけは給料を全額返還しましたけれど、元々あの人はたっぷり貰っていましたから、7500万円です。毎年です。もっとすごいのは関西電力です。9900万円、退職金はそれ掛ける何倍です。高給取りで好き勝手なことをやっていたのです。東京電力の役員たちが一番悪いのです。直接的に。ずさんな経営をしていたのですから。彼らの個人責任を追求しなければいけない。何でも組織のせいにするのです。組織というのは匿名ですから。第二次世界大戦が終わったあとは戦犯として裁判をされて、A級戦犯の人たちは死刑になった。あるいは懲役刑になった。そのような形で個人責任がきちんと問われて初めて、国民は次の復興のために本気で頑張ろうという気になるのです。ところが東京電力では全く個人責任を取っていない。いわば戦犯の責任を取らないで、さあみんなで復興しようと言っているのと同じです。そんなことが戦後許されるわけはない。けれども東電の事故について見ると、責任者の追求をしないで「頑張ろう、頑張ろう、除染しましょう、損害賠償しましょう、はいみなさん立ち直りをがんばりましょう」ということが起こっています。それでは本気になれない。やっぱり個人責任を追及して初めてけじめが付き、個人責任が追及されてこそ、事故の再発が防げるのです。いい加減なことをやったら、自分たちが損害賠償責任を最後は負うのだということで。それで私は、東京電力の株主の人たちと手をつないで、株主代表訴訟というのを起こします。被害者の人たちは東京電力の役員個人に対して裁判を起こせないのです。そういう法制度になっているのです。責任集中制度ということになっています。彼らの個人責任を追及するとしたら、株主代表訴訟ぐらいしかないのです。

請求金額は5兆5045億円 
  株主代表訴訟というのは株主が役員に対して損害賠償をしなさい、でも自分に対してではなく会社に弁償をしなさいという制度なのです。会社が弁償されると会社の財産が充実されて増えるから、その結果株主に間接的に利益が上がるという仕組みです。そういう間接的な裁判です。でもそれを使えば個人責任を追及できるのです。私は42人の株主と組んで株主代表訴訟を起こしました。内容は「株主は、いい加減な経営によってあのような事故を起こして、東電は被害者に対してたいへんな損害賠償債務を負った。この損害賠償債務を負ったことが会社の損害であり、あなた方のせいで会社はこのような損害賠償債務を負ったのだから自分の財産を全部はき出して弁償しなさい。そしてお金が入ったら、そのお金は被害者の弁償に当てなさい」こういう訴訟を起こしたのです。この請求金額は5兆5045億円です。これは歴史上最大の請求額です。裁判を起こすには0.1%の印紙代がかかります。だから55億円の印紙代がかかることになります。でもうまい法律があって、1万3000円でいいことになっています。なぜなら株主たち自身がお金を貰うための裁判ではないからです。公益的な裁判だからです。5兆5045億円というのは私がホラを吹いたような数字だと思われるかもしませんが、これは政府がつくった東京電力経営財務調査委員会が2年分の損害だけでもこれだけになると言っている額です。これは証明された数なのです。で私は、勝又、西沢など歴代の原発について責任のある役員を全部挙げました。彼らは今非常に悩んで恐怖していることでしょう。それはそうでしょう。事故は起こしたけれども、そーっといなくなればいいくらいに考えていたのでしょうから、「お前はこれで済むと思うか」と言われるのですから。訴状はそれぞれの家に行くのです。5兆5045億円もの訴状か来たら奥さんはどう思うでしょう。恐怖を覚えるでしょうね。この裁判はそういう恐怖感を与えるためのものなのです。
 それだけでは済みません。これは過去のことです。これから止めなければいけないのは、関西原発の大飯原発の再稼働であり、伊方原発の再稼働であり、日本中の原発を再稼働させないようにしなければいけない。私はどうするかというと、この訴状のコピーを取って関西電力の役員のところに全部送りつける、「あんた方いい加減なことやって再稼働をして事故が起きたら、あんたにもこういう裁判を起こすぞ」というわけです。私はすでにこれを九州電力にも送りました。四国電力にも送りました。再稼働が早くなりそうなところに送りました。
匿名社会に石を投じる─「自分の頭で考えろ!」
 個人責任で、自分の頭で考えないと日本の社会はよくならない。日本の社会って匿名社会なんです。特に役人とか大きな会社は匿名社会です。全部組織のせいにしている。組織のせいにするということは個人で責任を取らないということです。だから気楽に悪いことがやれるのです。いざとなっても捕まらないし、財産も取られない。現に、例えば再稼働するときなどでも、今までは「まあ政府が言うからいいや」とか、「社長が言うからいいや」とかと下っ端が上の言うことを全部賛成するのです。「お前自分の頭で考えろ! 下手すれば自分の財産が取られるかもしれないのだと思って判断しろ」というのが私のメッセージです。

刑事責任を追及
 オリンパスの事件では一ヶ月以内に強制調査が入り、二ヶ月目には逮捕者が出る。今度の年金が消えた問題だって、強制調査が入りました。雪印の問題、不二屋の問題もそうです。でも東電の事件では誰も逮捕者が出ていません。これだけの被害を過失によって起こしておきながらだれも逮捕されていない。だから私は刑事責任を追及する運動を起こしています。すでに広瀬隆さんと明石昇二郎さんという人が、東京地検に告訴しています。だけど握りつぶしです。東京地検などに告訴するからだめなのです。一人や二人の有名人がやってもダメ。私が今提案していることは福島地検に告訴すること。毎日毎日被曝している福島地検に告訴する、そこにいる検事は仕事をしている間は検事だけれども、家に帰れば生活者です。子どもも居れば女房もいる。彼らは被曝意識を共有しているに違いないのです。東京電力に対する怒りがあるはずです。そういう検事に告訴しなければダメです。東京地検の特捜部の検事は大きな建物の中に居心地よく居て、子どもは安全なところに置いてあるわけです。被害者とともに泣いてくれないのです。だからまず福島地検に、被害者が1000人も2000人も「俺たちの苦しみをどうしてくれるのだ。この原因をつくったやつを罰してくれ」と涙ながらに訴えないと、もしくは怒りもって訴えないと検察官は動かせません。だから私は福島に行っていろいろな集会で言っています。「3000人集めろ! そして福島地検を取り囲め、 人の輪で取り囲め、そして起訴しろ!逮捕しろ! と声を上げろ! そうすれば検察官も動く」と。今一生懸命告訴状を書いています。でも多分不起訴になると思います。なぜか、国策を遂行した者に対して、手心があるのですね。でも不起訴になったら、検察審査会に申し立てをすればいいのです。そして「起訴相当」という決議を取ればいいのです。その検察審査会のメンバーは福島県民なのです。やっぱり被害者なのです。するとまた地検に戻されます。また不起訴にするかもしれません。そうしたらもう一回「起訴相当」の決議を取ればいいのです。そうすれば小沢一郎が強制起訴をされたように、強制起訴ができるのです。「そこまで持って行こう!」という運動を今やっています。6月10日に福島地検に告訴しますから、大きなニュースで出ると思います。もっとも、最近報道がまた押さえられつつあるからあまり大きくは出ないかと思いますが、でも少なくとも記事にはなるはずです。
許されない「手抜き運営」
 東京電力は福島原発でどれだけ手抜きをしてきたかについてお話したいと思います。津波の話は以前から出ていたのです。今から4年前に、東京電力の若手精鋭の連中が、過去の大きな地震を福島沖に持ってきたらどういうことになるかというシュミレーションをしたのです。三陸沖で起きたのと、房総沖で起きたのを福島沖で起きたと仮定してどれぐらいの地震が起き、どれぐらいの津波が来るかをやって見る研究をしたのです。それが15.7メートルだったのです。15.7メートルの津波が来る恐れがあるという研究結果が出たのです。当時、東京電力で想定の津波の高さは6.1メートル。吉田所長と、原発担当の武藤が報告を受けたのですが、「それは発表するな、それから何もしなくていい。なぜならよそで起きた地震が福島沖で起きるというのは仮定ではないか」ということで、しかもその対策には途方もない金がかかるというので6.1メートルを1センチも上げなかったのです。それだけでも万死に値すると思っています。ここで、まじめに対策をしておけばあんなことにならなかった可能性は高いのです。原発のまわりだけを高く囲む防波堤の提案もあったのですが、そうすると周囲の地域に津波が押し寄せて迷惑がかかるという理由をつけて却下したのです。それをやらないで事故を起こしたら国がダメになるかもしれないという危険を置いておいて、近隣に迷惑がかかると言うのです。そんなことがまかり通っていたのです。
 他にも、2台あった非常用発電機を高いところに設置すればいいのに、両方とも波をかぶってダメにしてしまったのです。私らは浜岡原発の時にそのようなことをしたら危ないのではないかと班目さんを追求したのですが、「2台も同時にダメになることなんかないですよ。そんなことをいちいち考えていたら原発なんかつくれませんよ。だから素人は嫌なんだよ」と言ったのです。でも現実に起きたではないですか。東京電力がまさに同じことをやったのです。だから私たちは、いくつもの原因を調べて株主代理訴訟を起こしているのです。それと同じ手法で刑事告訴を起こし、彼らを追いつめて行きます。やはり、個人の責任を追及することによって再発は防げる、そういうふうに私は考えています。今の日本には、TPP、消費税、いろいろなことがあります。でも原発の事故が起きたら農業も水産業もできないではないですか。福島をみて下さい。TPP以前の問題ではないですか。消費税、消費なんてなくなってしまいますよ。原発事故があれば。だから原発を止めて日本の国を安全にすることが、今の日本にとって一番大事なことです。私はこの一番大事な問題に取り組もう、残りの生涯はこれに賭けようと思っております。

質問に答えて
Q原発というのは休止していれば安全なのですか?
A原発は止まっても危険です。ただ動いている状態で地震や津波が来るのが一番危険です。定期点検などで停止していても危険、というのは原発の燃料というのは運転を止めても崩壊熱が起きているのです。その崩壊熱は異常に高いのです。だから冷やし続けないとメルトダウンが起きる。そういう意味では止まっても危険。では燃料棒を取り出して燃料プールに入れれば安全かというと、4号機でも問題になったけれども、それも危険です。浜岡原発では今は止まっていますが、燃料プールに燃料がたくさん入っているので、そこへ地震が来て燃料プールが壊れて水が漏れて、燃料棒が再臨界を起こしたり、溶融したりするという危険もある。だけど運転の真っ最中にドーンと来る危険を100とするなら、止まっているときで40ぐらいの危険になるでしょうか。完全に燃料棒を抜いておけば10%ぐらいに下がる筈です。そんな感じで全部危険ですが危険の度合いが違ってきます。

Q除染なんて無理だと思っているのですが…。
A今は有効な除染が確立していなくて、まだ研究の段階です。だからまだ金と人さえ入れればいいという状況にさえいっていないというところです。でも除染を全部やるとものすごく金がかかるのだけれども、除染をやらないで済ませようという路線は、汚染を固定してお金をかけないで済まそうというところに行って、「原発の損害は大したことなかったよ」ということに持って行く論理に使われそうな気がして、それはそれで不安です。

Q核廃棄物の最終処理場がまだないのに、原発を作り続けてきたことを問題にする裁判もあり得えますか?
A倫理的にはまったくその通りです。それを裁判で損害賠償とか刑事罰でというのは難しいです。ただ最も根源的な責任だと思います。というのは使用済み燃料の最終処分をきちんとやったところはないのです。最終処分には、使用済み燃料をそのまま深いところに埋めてしまうワンススルーと再処理という方法があります。アメリカはワンススルーですが、どこも嫌がるので、そのような単純なやり方でさえうまく行っていないのです。ユッカマウンテンというところが最終処分場に決まっていたのだけれども、地元から強烈な反対にあって結局ダメになり、今は簡式貯蔵にして置いてあるのです。フランスは再処理をしています。プルトニウムと高レベル放射能に分けて、プルトニウムは兵器に使うとかプルサーマルをやるMOX燃料をつくる。その一番危険な高レベル放射能を無毒化するか深い穴を掘って投げ込んで終わりにするかということなのですが、それは出来ていません。唯一出来るかなというのがフィンランドとスウェーデン、これが今度「100000年の安全」という映画になりますが、埋めるところを国民を説得して、といってもあまり人はいませんし、ツンドラで岩盤も固いからうんと深いところに埋めて、それで終わりにしようというわけです。でもまだこれからというところです。しかし、「10万年後に人間がいて言葉が通じて、そこが危険だとわかるの?」とか、「地盤が変化して燃料が折れたらどうなるの?」という問題があります。
 使用済み燃料は倫理的には一番根源的な問題で、たかだか、50年ぐらいの間に原発をつくって、われわれはそれを享楽しているわけですが、単純に言っても危険と経済的負担を後世に残しますよね。そんなことが倫理的に許されるのか、まともに考えれば許されるわけはない。自民党で言うと、それを一番強調しているのが河野太郎さんです。橋下市長もそうです。私は橋下市長のブレーンなんです。橋下市長の味方などするなとみんなから言われるのですが、私は原発を止めるためなら悪魔とでも組みます。彼は「君が代を歌え」とか極めて反憲法的な人です。でもいいんです、私は。
 大阪市は何と関電の株を9%も持っているので、株主提案権を行使できます。株主提案権を行使して「脱原発しろ、仮にやるなら絶対的安全性を保障しろ」と、絶対的安全性などないじゃないですか、ということは原発止めろということなのですが、そういう要求を株主総会でやるから、河合さんも来いと言うのです。私は関電の株を持っているから、株主総会に出る権利があるのです。彼は子どものことを考えていて、「将来の世界にとってこんな犯罪的なことを許されるのか」と私に怒るのです。「全くその通りだよ、それが反原発の一番根源的な理由なんだよ」と私が言ったら、彼はえらく気に入って「河合さん一緒に闘おうね」と言うから「うん」と言って帰って来ました。

Q個人責任の追及をすることは、今後の民主主義を築く上で大切ではないかと思います。
Aみなさん原子力村って聞いたことがあるでしょう。これは一大権力構造なのです。電力会社のまわりにはゼネコンがいる。ここは原子力発電所だけでなく、水力、火力発電所の建設も請け負っている。すごい発注量です。その下に2次、3次、4次の下請け会社があって、多くの人が働いています。それらが完全に電力会社にひれ伏します。そして発電機メーカー、東芝、日立、IHI、三菱重工などがいる。その下請けもまたたくさんある。これもひれ伏して反原発などとんでもないと言います。それと、メディア、原発推進の電通、博報堂、テレビ、新聞、雑誌を全部抱えています。「安全・安心キャンペーン」に毎年多額の広告宣伝料を払っていますから、反原発運動の記事は取り上げないのです。メディアは完全に制圧されています。あと学者、東大、京大、東工大などは全部買収されています。研究費という形で出しています。理系は研究費がないと何も出来ませんから、お金を貰うからひれ伏すんです。少しでも反原発みたいなこと、もしくは中立的なことを言うとお金を止めてしまうのです。大学の先生は自分のゼミの学生が就職できないと困るわけです。ところが反原発学者のゼミにいる学生は絶対に採用しない。だから、就職とお金で完全にひれ伏せさせるわけです。派遣会社もひれ伏します。もう一つあるのが総合商社です。商社の利益の大きな部分は燃料の輸入と販売なのです。石炭、液化天然ガス、ウランなどを海外から輸入して納めてたいへんな利益を得ています。三菱商事の利益の大半は電力会社に納める燃料のマージンです。極めつきはこれら全ての会社に融資しているメガバンクです。ということは日本の経済の60%以上が原子力ムラだということになります。それぐらい強大な世界なのです。巨大な利権構造です。これだけ強大な利益構造をつくっているから、何があっても続けるのです。問答無用で続けるのです。で、個人責任を追及しないものだから、役者は変わらないのです。斑目は変わらないじゃないですか。あれだけの無責任なことをやっておいて、未だに変わらない。御用学者のトップは全然変わらないですよ。戦争に負けて、東条英機が日本の政治をやっているのと同じことが今起きているのです。だから個人責任を追及しなければならない。

Q私たちは科学ではごまかされるから、倫理による圧力をかけることは出来ないのでしょうか?
A私は最近、技術者倫理とか科学者倫理ということをよく考えます。その問題と使用済み燃料に関する問題と、倫理には二通りあると思うのです。今、原発訴訟の中でもそのことが問題になってきています。近代科学文明というのは、発達していく中で工夫をし発明をして実施する、すると事故が起きる、すると反省して改良する、そしてまたトライする、そしてまた失敗する、そこからまた改良して成功するというかたちで近代科学文明は発達してきたのです。わかりやすい言葉で言うなら〝失敗は成功の母〟というかたちで頑張ってきたから、自動車にしても航空機にしても医薬品にしても今に至っているのです。それと同じだから、「少々の失敗は仕方がないのだ、それに立ち向かうことこそ人類の叡智だ」というのが、ついに電力側から出てきたのです。このことは倫理的な問題としてすごく重要です。はたしてそうなのか。倫理的に言って、自動車や航空機や医薬品と同じに原発を論じていいのかという問題です。技術者倫理としてもそうです。私らが考えていることは、後に戻ることの出来ないような、取り返しのつかない被害が出る失敗は、他の失敗とは違うのだ。近代科学文明が発達しすぎて、そういう技術が生まれてしまったときに、その技術に対して技術者や一般国民は、どのように対したらいいのかという極めて倫理的な問題なんです。トライ&エラーをすることによって、メソッドが適応しうる科学と、そうでない科学があるのではないか。その典型的な技術が原子力技術である。それ以外に何があるかというと、例えば遺伝子操作技術がそうですね。これも一度変な遺伝子をつくると、〝悪価は良価を駆逐する〟という言葉があるが、地球の生態系を変えてしまう恐れがないわけではないから、遺伝子操作は危険視されているのです。ナノ技術もそうではないかと言われています。発がん性が強くて止まらなくなるのではないかとか言われています。でも後の二つについてはまだわかりません。でも原子力技術は後戻りできない技術ではないかと思います。〝失敗は成功の母〟などというメソッドは成立しないと私は考えています。みんながそう考えるべきだと思います。技術一般と原発を一緒にするなという倫理観が必要です。もう一つは、後世にたいへんな負担をかけること、世界間の不公平、こういうことをやってはいけないという倫理。
 ドイツの倫理委員会についていうと、委員会を二つつくったのです。技術・科学者委員会と倫理委員会があって、前者が出した結論は「まあ安全にやれ」といった結論。倫理委員会は原発は止めるべきだ。原発の被害はあまりにも空間的にも無限定過ぎ、期間的にも無限定すぎる。被害の深刻さに於いても無限定過ぎる。取り返しの付かない損害が発生する。それを他の人に与えている。それはおかしいのではないかということと、もう一つ重要なことがあります。それは電気が他の方法で出来ないなら、あえてリスクを冒さなければならないかもしれないが、原発を使わなくても、水力があり、火力があり、自然エネルギーがあるではないか、工夫すればそちらに行けるではないかという考え方です。福島原発を見て、事故の深刻さを見て、しかも「日本のような超技術大国で、あれだけレベルが高くて、自分たちが尊敬して来た国であのような事故が起きた。だから止めよう」と言うわけです。その三つの理由で倫理委員会は止めることを決めたのです。
 原発の問題に倫理を持ち込むことを日本ではしません。安全か、安全でないか、技術がどうかという観点でしか見ません。技術という点では専門家の方が強いのです。でも私らは「そう言われても、やっぱり怖い」と言うほかないのです。その感覚を大事にしなくてはいけない。倫理の問題を持ち出すのは大事なことだと思います。

Q国有化とか発送電分離とか、東電の解体についてどう考えますか?
A日本は発電をしているところが送電をしています。しかも地域独占。そのため他の有効な電源を捨てている。例えば自然エネルギーをつくっても入れさせないか、非常に高い料金を取って事業として成り立たないように邪魔をするのです。電源というのは意外にたくさんあって、例えば製紙会社が製造過程で出来たヘドロを燃やすと高いエネルギーが出る。製鉄会社も発電装置を持っています。その他いろいろな会社でつくられる過剰なエネルギーがたくさんあるのに、送電線が独占されているので有効利用が出来なかったのです。だから発送電分離をしようというのですが、電力会社は利権を守るために理屈をつけて反対しています。風力は風任せだからとか、太陽光は天気任せだからとか、しかしドイツでは15%も稼働しているではないですか。ドイツに出来ることがなぜ日本で出来ないのですか。ICの会社などでは0.1秒停電してもたいへんなことになるけれども、そういう会社は自分のところで発電をすればいいので、普通は少々停電しても問題はないと思います。
 東電は本当は破産させるか会社更生にして解体させるべきだと思います。けれども、今までさんざん世話になった応援団がたくさんいるのです。一番世話になっているのは経団連の米倉。そういう連中がヘイコラしていて、その御利益がまだ効いているのです。東電はダメになっても他の電力会社、特に関西電力の発電力は依然としてあり、利益を確保しようとするので、電力に対する大きな改革は、陰に回ったり表に回ったりして阻止するわけです。
 東電は今経済状態は破綻状態です。巨大な額の損害賠償債務を負っているからです。しかし、バランスシートは完全にアンバランス、債務超過なのですが、そうさせると社債がダメになるとかという理屈をつけてバランスシートに載せないのです。載せないで会社更生になるのを法的に防いでいます。でもあまりにひどくなったときには破産や会社更生になる可能性はまだあるかと思います。今のところはこのまま押し通してしまおうというところです。これだけの不祥事を起こして会社が存続すること自体おかしいし、東電の体質は未だに直っていない。役員が責任を取っていないのだから。東電は自分たちを被害者だと思っているのです。想定外の津波の被害者だと。「想定外の異常に巨大な天災地変による原子力事故は免責」という免責条項があるのです。それで勝又は、その適用を主張したのです。しかしさすがにボコボコにされて引っ込めました。そして損害賠償はするかわりに、国で助けてほしいということで「原子力損害賠償支援機構」をつくって貰い、今までに9000億を国から貰っているのです。そうすると特別損出と特別利益でチャラになるのです。だからバランスシートは傷まない。だから倒産はしないのです。とにかく国ぐるみでインチキをやっているのです。
 国民の大半が、特に女性の9割が原発は止めてほしいと思っているのに、そして、そういう人たちの選挙によって選ばれるはずの政府が、事故の真の原因の究明も、再発の防御策も決まっていないのになぜ再稼働出来るのですか。論理とは別のところで、政治的判断で地元に説得に行きますなどということがまかり通っているのは、原子力ムラの権力構造のせいです。原子力ムラには役人、政治家、地方自治体もいます。それらが生き残っているから、国民が反対しても国民の意志に関係なく再稼働ということが出てくるんです。論理はつながらないのです。 
 もっと言うと、産業の発展のためには少々、福島県程度がダメになっても、それは我慢していただきましょう。それは口が裂けても言ってはいけないことなのですが、彼らはそう思っているのです。上から目線で。自分たちは国のため、天下国家を論じていて、日本のことを考えている。だからセンチメンタルになってはいけない。しかも経済が繁栄すれば自分も儲かるから、原発再稼働というのです。
 再稼働をどうしてもしたい理由があるのです。それは原発を輸出するためなんです。日本で原発が全部止めたとして、トルコに売りに行ったとする、そこで「故障の時お願いしますね」と言われて「うち、原発やってないんですよ」と言ったら売れないじゃないですか。だから絶対に再稼働しなければならないと思っているのです。野田さんも、仙石さんも。日本ではもう原発はつくれそうもないけれども、日本の技術を売り込んで国を潤したいというわけです。そのためには絶対に再稼働しなければいけない。そして隙あらば新設も狙っていると思います。原発を生きのびさせることが日本のためなのだから、少々の事故があっても感傷的になってはいけない。国を憂う者は〝小の虫を殺して大の虫を活かす〟のだと思っているのです。それが基本。「だけどそんなことが福島で言えるのか」と言うと下を向いてしまう。大丈夫だという人に私は「孫を連れてそこに住め」と言います。

Q玄海原発差し止め訴訟のサポーターをしていますが、国家賠償請求訴訟、あるいは原発差し止め訴訟において憲法は使えるのでしょうか?
A原発訴訟で憲法がそのまま使われたことはないと思います。主張の中で具体的な憲法の条文に違反するではないかという主張はあったと思います。ただしそういう背景的な法律的主張としてするのであって、具体的に人格権に基づいて差し止めというのは認められているのだけれども、具体的危険性があるかどうかに論点が集約されています。原理的に憲法違反なのだから、もう論ずるまでもなく憲法違反だというように言えるかというと、残念ながら日本の人権条項というのは、最高裁判所の長い間の判例で、例えば生存権なども、25条は、これは目標条項なのであって、政府や国会はそういう方向で頑張りなさいというだけで、具体的にそれを侵害されたから損害賠償だというわけじゃないという解釈になっているのです。そこが残念なのです。憲法の条文をそのままストレートに使って、違反だということで差し止めというわけにはいかないのです。
 だけども、13条をもうちょっと民法上の観念に変えて、人格権というものがあると思うのです。自分の人格を保持する権利です。それに基づいて、放射能が飛んできて危険になる。権利を侵害するのだから止めろという、その範囲においては認められているのです。その人格権が出てくる条文は憲法の13条や25条だというふうに言われているのです。だから憲法が全く役に立たないわけではないけれども、憲法論争で決着がつくというものでもないということです。では玄海原発裁判は勝つかというと、私は勝つ可能性は高いと思っています。3000人ぐらいでしたか、多くの人が推すことはとても大事です。